訪問介護の「悩み相談」「お役立ち情報」はヘルパー会議室へ! › フォーラム › フリー › 利用者さんから聞いたすごい話を教えてください!
80代の方の支援に入っていますが、世間話をしていたところ、まだお母様がご健在であるってことが判明。基本情報にはそのあとしっかり目を通し家族構成をしりましたが、見落としていて・・・話を聞いたところお母様106歳だとか・・・ 自分は喪主になるべきものだから元気でいないといけないと、日々健康管理に努力しているとのこと。素晴らしいなと、見習わなきゃと思いました。びっくりしたり、おもしろい話を聞くことってありますか?
素晴らしいですね。 ぜひ、喪主をつとめるためにもまだまた元気でいて欲しいですね。 ただの認知症で農家のお父ちゃんかと思っていたら、実は株主で現在も慕われていた方にはびっくりした事はあります。
株主でしたらものすごいやり手ですね。いろいろ勉強もしているだろうし、認知症は程遠いですね。びっくりしますね。 高齢者の人は人生長く生きているだけあって、やはりすごい話の人はたくさんいそうですね。
それは驚きますね!106歳のお母様も80代の利用者さんも元気でもっと長生きできるといいですね! この仕事をしていると戦争の話を聞くことはよくあると思いますが、この間話したおじいちゃんは隣で友人が亡くなって怖くなって逃げ出して家にいた、だから今生きているんだ、なんて笑いながら話してました。戦争で逃げ出すことなんて出来たのかと驚きました!その方はその後某大型公園の中に小さい遊園地を作ってつい最近まで管理人をしていたそうで、何かとすごい方でした。
町の町会議員で、広い家に住んでいる上に、次男と一緒に住むから、リフォーム中で、ボケ防止で株をやっていると聞いた時にはどんなお金持ちだと思いました。
106歳のお母さん、凄いですね。私の事業者にも似たような方がいらっしゃいます。 長生きされていらっしゃるから、戦争や家庭の事、凄い話を私もたくさん聞きました。
すごい話ではないですが、98歳の女性の方です。シルバーカーで付き添えば歩行ができ、脳トレの計算や漢字もよく書けます。認知症があるため自分のことを24歳位だと思っており、これからお婿さんを探さなきゃいけないといつも話しています。可愛いなぁと微笑ましく話を聞いています。
人生の大先輩たちはいろいろなエピソードがありますね。戦争中逃げ出したり(笑)株やったり、24歳だと思っている方もきっと若々しくて可愛らしい素敵な方なんでしょうね。 思い込みって大事だって言いますが、若いって思い込むのは素晴らしい!!いろいろな話を聞くと見習いたくなりますね。
認知症の方ですが4回の結婚・離婚歴があって、なんでそんなにモテるんだろうと不思議に思っていました。 あるとき、ホステスしてたのよと昔を思い出して話をしてくれたので、納得しました。
90代のおじいさんですが、戦争でシリアに行って捕虜として仕事をさせられていた。という話は聞きました。冬は服を支給してくれたりもしたり、ボタンが取れたら自分で付けたりしたよといつも話してくれます。 今でも、きれい好きで自分の事は自分でしていたので、部屋の中は整理整頓されてますね。
こういったトピはほっこりしますね。また最近のことですが、私は現在ショートステイに勤務していて、その利用者さんで他県からいらっしゃってる方がいたのですが、利用時に他県から電車やバスを使って1人で来ていると聞いた時には驚きました。確かにしっかりされてますが歩行に若干ふらつきや認知機能の低下がある方だったので、ホントですか!?と思わず聞き返してしまいました(笑)最近特養に入居されましたが相変わらずお元気です。
皆さんのすごいエピソード、人それぞれいろいろなドラマがあったんですね。話を聞くと、その人の生い立ちがよくわかり、なんだか目に浮かびますよね~~^生育を知るってことは本当に対応するのに必要なことですよね。 認知症の方も、昔話はできますよね。そこから刺激で元気になるといいですよね。
皆さん凄い話ですね! 私は当時92歳だったおじいちゃんが戦時中将校さんで偉い立場だったけど船で海外に行ったけど部下を戦わしている間に1人帰ってきちゃったから今も生きてるんだよ!と話してましたがある意味凄い話だと思いました。
孫が30人以上いる、と聞いて驚いたことがあります。 女性の方ですがお子さん10人産んで、それぞれ3人前後子供を作って、という感じらしいです。 家族写真を見せていただきましたが、クラス会のような人数で驚きました。
巨人の高橋由伸監督と親友で頻繁に連絡を取り合っていると話されている利用者様がいました。 30年ほど前に巨人キャンプへ行った際に、新人で名も通っていない高橋さんと連絡先を交換をされたそうで、長いお付き合いをされているそうです。 本当だったらすごいー!!
以前、訪問していた方は戦争経験者で、第二次対戦時、各地の空港に米軍が焼夷弾や爆弾を落としていたそうです。 そんな時、以前住んでいた家の近くにも、空襲があり、幼かった利用者は、母親と一緒に防空壕へ逃げている時に、目の前に焼夷弾が落ちたそうです。 幸いにも、防空壕に間に合ったので怪我はなかったそうですが、かなり怖かったと話していました。
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